渋谷区 税理士の世界
I社との二回目のでは、GもAもバルマーもそのことをいっさい口にしなかった。
I社の守秘義務合意書れば、どのような機密事項も漏らしてはいけないことになっているではないか。
CP/Ml稲は明Z I X [第7章]I社の噂と真相デジタルリサーチがオペレーティングシステム市場をとり、MSはプログラム言語市場を占有する。
G・Kは、そう考えていた。
そうすれば、彼とGとでソフトウェア市場を分け合うことができる。
B・Gのほうが、世間をよく知っていたようである。
MSとはワシントン湖をはさんだ対岸にあるシアトル・コンピュータ・プロダクツという会社で、B・GがI社に売りたいと思っていたオペレーティングシステムが見つかった。
あとはこれを手に入れさえすればいい。
コメディーと同じように、ビジネスもタイミングがすべてだ。
シアトル・コンピュータの16ビット・オペレーティングシステム「QDOS」に、MSのプログラマに作れないような特殊な機能があったわけではない。
だがMSのプログラマはまだオペレーティングシステムを作っていなかったが、シアトル・コンピュータのティム・パターソンはすでに作っていたのである。
「クイック&「ファンクションコード6がなぜ『$』マークで終わっているのか、Bに聞いてみるといい。
その理由は私しか知らないのだから」ファンクションコード6はQDOSにあったし、10年たった現在もMSIDOSに残っている。
QDOSはすでに完成していること以外、特筆すべき特徴はなかった。
B・Gがこのオペレーティングシステムの権利を買い取るためにシアトル・コンピュータ・プロダクツに5万ドルを支払ったのは、何よりも時間を買いたかったからだ。
このとき、5万ドルはさぞかし大変な金額に見えたに違いここで、かってなかったほど大変なシーンが展開することになる。
B・Gはフロリダまで飛んで、コードの一部はCP/Mから盗んだものではあったが、とにかくクイック&ダーティーDOSという名の製品をI社に売り込んだのだ。
1500キロ離れた司法省の法律家がこれを知ったら、聞き耳を立てたことだろう。
当時、コードを盗んだと言って富士通を訴えていたI社の法務部は、集団発作を起こしたに違いない。
そして、若きB・Gは何か間違ったことを言ったのだろうかと、日差しの強烈なI社の駐車場に呆然と立ちつくしていたはずである。
だが、フロリダに飛んだGはI社の守秘義務合意書を忠実に守り、MSlDOSと名を変えたQDOSの本当の由来については多くを語らなかった。
シアトル・コンピュータ・プロダクツの支援を得て完成した、としか言わなかったのである。
デジタルリサーチの元従業員によれば、このときに起こった重大な出来事がもう一つある。
I社PCが発表されるほんの数週間前に、G・KはMSのQDOSのコピーを手にいれて、「ディスアセンブリ」と呼ばれるテクニックを使ってQDOSのなかをのぞいた。
そして、CP/Mのコードが広い範囲にわたってそっくりそのまま盗まれている箇所を見つけたのだ!I社は盗まれたコンピュータコードに、自らのパーソナルコンピューティングの未来を賭けようとしていたのMSの全員が、オペレーティングシステム市場に参入しなければならないと考えていたわけではない。
MSの能力は、プログラム言語の開発だけですでに限界だった。
そこにQDOSが加われば、大幅な増員が必要になる。
MSが増員したのち、I社がぎりぎりになってか、著作権侵害に対処する現実的な選択肢はこの二つしかない。
I社の連中は、この問題にその両方で対処したのだった。
彼らは、QDOSと同時にデジタルリサーチのCP/Ml稲を売ることで合意した。
そしてデジタルリサーチに、売上見込みに対する前払い金として多額の小切手を書いたのである。
Kは喜んで帰宅し、非常に優れた製品であるCP/MI別は市場で優勢な地位を維持できると信じたのだった。
しかし、結果的にそうはならなかった。
I社は合意のもとに価格の決定権を持ち、PCIDOSを60ドルで売り、CP/MI別を240ドルで売ったのだ。
I社の顧客が、値段が高いうえにアプリケーションが一つもないCP/Ml稲を買うはずがない。
しかし、I社とMSは契約によっていかなる法的行動からも守られていたから、このことに関してG・Kもデジタルリサーチも何一つ打つ手がなかった。
Kは、この契約について公にすることさえ禁じられていたのである。
KはI社にだまされ続け、不満を言うこともできなかった。
いまだに不満さえ言えないでいる。
チェスプロジェクトを放棄したらどういうことになるだろう。
現に、I社はすでに4つのマイクロコンピュータ・プロジェクトを途中で中止している。
I社が取引をキャンセルし、MSがほかにQDOSの買い手を見つけられなかったら、シアトル・コンピュータに払ったあの5万ドルは本当に大変な金になってしまう。
B・Gは噂どおりケチだったが、QDOSを購入する際の懸念は根拠のないことではなかった。
I社といっしょにベッドに飛び込むことによって、Gは自分の会社全体を危険にさらしていたのだ。
彼自身も、そのことは充分承知していた。
MSとI社は短期間で合意に達し、MSはエイコーン用の全システムソフトウェア開発の責任を負うことになった。
GとAをはじめとするMSはQDOSを仕上げ、I社はそれをPClDOSの名前で販売することになったのだ。
MSは、各マシンにROMに収められた形で出荷されるBASICインタープリタも供給することになった。
I社がかって、わずか一社の供給元にこれほど依存したことはなかったことだ。
ましてや、それが髪の毛もきちんと洗わない25歳の若者が社長を務める会社だというのは、前代未聞のことだった。
だがMSとの提携は、ボカ・レイトンのロウのスタッフにとって、自分たちがI社の旧態依然としたやり方からどれほど脱却できたかを示す明白な徴候でもあった。
I社にとってはMSとの関係によってI社PCの実現が保証され、I社との関係によってMSはソフトウェア会社としての長期にわたる成功が保証されたのである。
#NAME〜彼は反逆的な開発グループを組織し、I社PCの最初の路線を作った。
そしてシステムソフトウェアの供給元としてMSを見つけ、経営委員会に売り込んだ。
1980年末、こうした貢献に対する報酬はほかの部門の重役への昇進という形で支払われた。
ロウの上司たちは、パーソナルコンピュータを作ることではなく組織を作ることが会社の目的だと考えていた。
それが正しいとすれば、昇進の結果、ロウが自分の計画したプロジェクトから引き離されることになってもたいして問題はない。
I社は大規模なチームで成り立っている会社だ。
たった一人の人間が、I社の事業を批判することなどできない会社なのである。
I社のために18年間働いてきたロウはミネソタ州ロチェスターにある研究所の所長への昇進を快諾して、組織の命令に従ったのだった。
これがほかのパーソナルコンピュータ・メーカーだったら、ロウのような立場にある人間はプロジェクトが完了するまでそのプロジェクトにとどまっていたはずだ。
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